ヒーローたちの真実
3月11日、福島第一原子力発電所で起きた、放射能漏れ事故をくい止めるため、全力で立ち向かった作業員たちが、当時の壮絶な状況についてはじめて、イギリス「サンデーテレグラフ」の独占インタビューに答えた。
Image: ssoosay当初、事故対応のため、命がけで現場に残った作業員50人は、海外のメディアがつけた「Fukushima50(ふくしまフィフティー)」というニックネームで呼ばれ、’顔の見えないヒーローたち’として、今や諸外国で知られている。
インタビューで彼らは、せまい暗闇での作業の恐怖、愛する家族への想いと、それでもやらなければという決心についてを語った。
作業指示の電話と放水成功の喜び
1号機がメルトダウン(炉心溶融(ろしんようゆう))しはじめたとき、東京消防庁ハイパーレスキュー隊を率いて作業にあたった隊員は、当時について、次のように語っている。
「とにかく、真っ暗だった。真夜中でしたが、頭につけた照明だけが頼りでした。原子炉から、煙と蒸気が立ち上っているのがわかりました。(鎮静化の)あらゆる方法で失敗したので、海水冷却のため、国家公務員ではなく、東京都の職員なのに、私たちが呼ばれたんです。ほかに手段がなかったんでしょう。」
電話で、現場急行の指示連絡が入ったのは、午後11時。彼は次のように続ける。
「指示内容は、人員を集め福島(の原発)へ行くようにという、大変簡潔なものでした。妻に、’福島(の原発)に行く’というと、ショックを受けたようでしたが、すぐに気を取り直し’気をつけて’と言ってくれました。気を使って、そうしてくれたんです。」
この指示を断るということは、微塵(みじん)も思わなかったが、ほかのことを考えていたそうだ。彼はこう続ける。
「発電所への行き道は、とても静かでした。行きながら、心配でした。ほとんどの作業については、訓練してきましたが、今回のものはぶっつけ本番で行わなければならず、不安でした。」
不安は的中した。
午前2時に現場に到着し、消防車は3班にわかれた。1台は、海水を吸引できるよう、可能な限り海に近づき、2台目は、放水すべく、1号機から1.8メートル以内の場所につけた。そして、3台目は、中継点として、放水に使用する黄色いホースの中間点に停めた。
「あそこまで酷いと思わなかった。すべて瓦礫(がれき)に覆われ、そこら中に、コンクリートが散らばっていました。そしてなぜか、マンホールの蓋(ふた)が、すべて飛びだし、車が通れない状態でした。消防車を、海水を吸引するためのホースが届く場所に、移動できなかったため、真っ暗やみの中で、ホースを抱えて800メートルくらい走りました。」
放射線濃度の急上昇に備え、エンジンをかけた避難用の車をスタンバイしてはいたが、ここまで準備する間にも、すでに原子炉からの放射能を、体中に浴びていた。
「もう少しだ、頑張れ!ホースをもっと引け」などと声を掛けあい(実際には、防毒マスクをしてたので、叫びあい)ました。ホースから放水され、原子炉に届くのを見たときには、’やった!’といって、皆、拳を振って喜びました。その後は、自動ホースのコントロールに任せました。」
*作業員の方々の名前は、プライバシーを考慮し、編集部の判断で記載していません。《オススメの関連記事》東日本大地震/震災 厚生省発表の放射能濃度(食品・水道水・雨・海水)と、風呂ほか一覧「放射能の影響7世代」 国の楽観しすぎに警鐘 ロシア科学者放射性物質汚染(外部被ばく)、除去は「ぬるま湯」で 米保健社会福祉省(HHS)「安定ヨウ素剤は万能薬でなく副作用も」 3自治体で配布が、情報混乱 編集部 松田鞠
- (2)に続く-サンデーテレグラフ福島50(ウィキペディア)