食欲のコントロールはストレスのコントロール?
悪夢のような拒食症の始まりは、ヘザー・デュワーが、エジンバラ大学の学生当時、学業へのプレッシャーを感じ始めたことだという。さまざまなことが、思うように進まず、ストレスに苦しむ中、ゆいいつ自分でコントロールできるのが、食生活だった。
Image: Rachyl McDowellそれからは、自分の食事を厳しく管理し、批判するようになったそうだ。大学4年のとき、ひとりパリで生活していたため、状況の悪化に気付くものは、周りにいなかったという。
その頃の、へザーの1日の食事は、主にフルーツひとかけら程度で身長は163cm、体重32kgだった。
彼女は、当時の状況を、次のように話す。
「とにかく、食べ物が怖くて、スープさえすすれなかった。そして、何かにとりつかれたような状態で、スーパーでは、好きな食料品を何時間も見続けていました。でも、私はそれをさわったり、買ってはいけない気がするんです。また、生活にも支障が出てきました。眠れなくなり、枕から頭を上げたり、運動どころか、歩くこともできなくなってきました。」
「それと、激痩せで、体の骨が見るからにごつごつと飛び出していたので、お風呂では、手を体の下におかなければ、痛くて入れませんでした。まるで、骸骨のような顔は、老人のようで、怖くて、自分で見られませんでした」
彼女の元を訪れ、驚愕した母親に、家に連れ帰られた彼女は、車いすを使うようになり、拒食症は、ますます悪化していったそう。
もう体重どころの話ではなくなっていた。彼女の両親は、痛む心を押し殺し、嫌がる彼女を精神病棟に隔離した。
正常の回復は無理か
入院から5日後に、自ら退院しようとしたが、もしそうすれば、余命は2週間ほどだと、医者に宣告されたそうだ。
「これを機に、自分の中で、何かが変わりました。今まで、じわじわと、自分で自分を殺してきたんだと、気がついたんです。でも、私は生きていたかったから、食べなければと思ったんです。」
と、ヘザーは回想する。
その後、体重は徐々に上昇し、頑張った甲斐あって、1年後には、大学にも復学した。20代前半に、家から再び離れて、スイスにいたときには、症状が少し戻ったことがあった。このときも、回復はしたが、体はすでに、修復不可能になっていたという。
医者によれば、今までも、何度も心臓発作を起こしていたんだろう、ということだった。骨も、骨密度は急激に低下し、老人のように、枠組みだけのスカスカなものになった。
彼女は、骨の、特に骨盤のことを考えたとき、もう子供を持つことはできないだろうと思ったという。
ところが、2009年8月、妊娠したことを知る。パートナーのダレン・アンダーソンは大いに喜んだ。ヘザーは、自分の体が大きくなるのを見ることにより、ふたたび拒食の症状が出るのを恐れたが、余計な心配だったようで、順調な妊娠期間だったそうだ。
命のリセットが産んだ2つの健康な生命
壮絶な、命がけのたたかいのすえ、彼女はついに、70代の老婆のような、ボロボロの体で、愛娘サスキアを産んだ。彼女は現在、イギリスBBC放送局、スコットランド支局で、リポーターをしており、子供を持てたことは’素晴らしい奇跡だった’と振り返る。
「拒食症というのは、どう見るか、何を食べるかなど、ある意味、自分本位のことですが、妊娠したり子供を持つと、そうはいきません。娘のサスキアのことを考えると、今までにはない責任感を感じます。今はもう、拒食の心配はないですし、もう二度とそうならないことを願っています。」
Image: limaoscarjuliet* この記事は、ヘザー・デュワーの経験にもとづくもので、すべての摂食障害患者に当てはまるものではありません。《オススメの関連記事》「あのポスターの、激痩せモデル、イザベラ・カロ 逝く 日本での入院・帰国後」 編集部 松田鞠
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